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水戸地方裁判所 昭和35年(ワ)44号 判決 1961年11月17日

原告

芝山いね

被告

石塚交通有限会社

主文

被告は原告に対し金一一〇万円及びにこれに対する昭和三五年二月二八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを一二分しその一を原告のその余を被告の負担とする。

この判決は原告において金三〇万円の担保を供するときは原告勝訴の部分に限り仮りに執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し金一二〇万円及びこれに対する昭和三五年二月二八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求原因として、

一、原告は、夫義之介とともに農業に従事する傍ら、野菜の挽売りを営んでいるものであり、被告は自動車による貨物運送を業とする有限会社である。

二、原告は、昭和三四年八月二六日いつものようにリヤカーを挽いて水戸市備前町通りから同市天王町通りへと野菜の挽売りに赴き、同日午後〇時五〇分頃同町九〇四番地先伊藤写真館こと伊藤光雄方前路上に至り、注文された野菜を計量していたところ、訴外小林博が被告所有の事業用普通貨物自動車(茨一ー四七三号)を運転して同じく後方備前町方面から天王町通りへ北進疾走して来た。それで原告は道路左側(車の進行方面左側をいう。左側及び右側の用法については以下同じ。)の右伊藤方入口の下水蓋の上に身を避け、更にリヤカーの左側車輪を下水蓋の上に引き寄せて右自動車の通過を待つていたところ、訴外小林は後方備前町寄りの道路右側高橋小児科病院前に停車中の大型自動三輪車の横を通り抜けた後右貨物自動車のハンドルを直しながらリヤカーの前を通過し始めたが、突然右貨物自動車の後輪フエンダーをリヤカーの後部に衝突させ、これを押したため、原告はリヤカーによつて附近の電柱に押し付けられ、電柱とリヤカーとの間に右脚を強く挟さまれ、その結果右下腿挫滅切断創の傷害を蒙るに至つた。

しかして右現場附近の道路は巾員も狭く、道路右側高橋小児科病院前に停車中の自動三輪車と原告の側にあるリヤカーとの間隔も僅かであつて、前記の如き貨物自動車が左右両車の間を通過するのは必ずしも容易ではない状況にあり、かつ原告は前記の如くにして貨物自動車の通過を待つていたのであるから、かかる場合には自動車の運転者たるものは、前方左右の車の状況、人の動静に十分注視し安全に通過し得ることを確めて進行すべき義務があるにかかわらず、訴外小林は何らかような措置を講ずることなく、漫然進行を継続したため原告が前記の如くリヤカーを通路左側に引寄せて避譲していることに気付かず、原告に対し前記の如き傷害を負わせるに至つたものであるから、右事故は訴外小林の過失行為に基因するものである。

三、そして訴外小林宏は被告会社の被用者であるところ、前記事故当時訴外小林は前記貨物自動車を運転して被告会社の営業である輸送貨物の集配業務に従事中であつたから、使用者たる被告は小林の前記過失行為によつて発生した損害を賠償すべき義務がある。

四、ところで原告は前記事故により次の如き損害を蒙つた。

(一)、原告は、肩書住所地において夫義之介とともに農業に従事し夫名義の田畑一町二反歩を耕作し傍ら野菜の挽売りによつて収入を得ていたところ、前記事故の結果右脚の膝から下を切断するの止むなきに立至つた。そのため原告は農耕はもとより野菜の挽売りも出来なくなつた。

しかして、夫義之介名義の右農業所得から生ずる年間純益は二五万円を下らないところ、右所得の半分以上は原告の働きによるものというべく、従つて原告は少くとも年間一二万五、〇〇〇円の収益を上げていたのに、本件事故により右利益を喪うことになつた。そして原告は明治四二年一二月九日生れで前記事故当時数へ年五〇歳であるところ、厚生省発表の日本人の平均余命表によると五〇歳の女子はなお二四、二五年の余命があること明らかであり、普通健康の女子が農業に従事できるのは六五歳までと考えられるから、原告は、前記事故がなければなお一五年間は農業に従事することが可能である。そこで、原告の得ていた年間収益一二万五、〇〇〇円につき向う一五年間に得べかりし収益を計算すると合計一八七万五、〇〇〇円となるところ、これを年五分の利率によりホフマン式計算法により中間利息を控除し現在額に換算すると,一〇七万一、四三〇円となるから、原告は前記事故により右金一〇七万一、四三〇円の得べかりし利益を喪失したものである。

(二)、原告は前記事故後直ちに水戸市岡崎病院に入院し治療を受けたところ、右病院に対し入院料合計金六万六、〇五〇円、その他治療代、松葉杖合計金一、三〇〇円を支払い、また訴外市毛孝子に対し附添看護料金三万六、〇〇〇円を支払つた。更に右脚を切断したため義足代として金三万円を要した。

(三)、そして原告は、前記傷害により生れもつかぬ片脚の不具者となり精神的に多大の苦痛を蒙つた。被告は原告の右苦痛に対し金一〇万円の慰藉料を支払うべきである。

五、よつて原告は被告に対し前記有形無形の損害金合計一三〇万四、七八〇円の内金一二〇万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和三五年二月二八日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及ぶ。

と述べた。(立証省略)

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、答弁として、

一、請求原因一、のうち、被告が自動車による貨物運送を業とする有限会社であることは認めるが、その余の主張事実は知らない。

二、請求原因二、のうち、訴外小林宏が昭和三四年八月二六日午後〇時五〇分頃被告所有の事業用貨物自動車(茨一ー四七三号)を運転して水戸市天王町九〇四番地先伊藤写真館こと伊藤光雄方前路上を進行中、たまたま同所にいた原告のリヤカーの荷台の敷板後部の右隅に右貨物自動車の左側後輪フエンダーが衝突しこれを押したため、原告が附近の電柱に押付けられ、リヤカーと電柱との間に右脚を挟さまれた結果、その主張の如き傷害を負うに至つたことは認めるが、その余の主張事実は争う。

右事故は訴外小林宏の過失行為に基因するものではない。右事故発生に至る経過は原告が主張するところとは異る。すなわち、訴外小林は、同日午後〇時五〇分頃前記貨物自動車を運転して同市備前町方面から鳥見町に赴くため、備前町の辰新酒店の角を曲り天王町通りへ進出し北進して行つたところ、約二〇米前方の道路右側高橋小児科病院前路上に自動三輪車が対向して停車しており、道路左側の更に鳥見町に寄つた前記伊藤光雄方前路上に原告のリヤカーが置かれてあり、その手前に氷の看板が立つているのを認めたが、リヤカーの側には全く人影はなかつた。そこで小林は、時速約一五粁に減速して徐行し、やがて両車の間の通過にかかり、運転台に同乗していた助手船橋三男に命じて道路左側を注視させ、そのオーライオーライの合図によつてその安全を確認しながら、小林自らは貨物自動車の右側バツクミラーで自動三輪車との接触に注意しつつ、まずハンドルを右に切り続いて左に切つて進行し車首を立て直してゆつくり通り抜けようとしたところ、その時ギーと音がしたので、小林は驚いて急停車して見ると原告が道路左側にあつた電柱にしがみついて痛い痛いと言つていたので自動車を後退させたものである。

しかして、訴外小林が当初原告のリヤカーを発見したときにはその側に人影は全くなかつたし、また右事故は貨物自動車が車首を立て直して直進しようとしたときに起きているところから見ると、原告の負傷は次の如き原因に基づくものと思料される。すなわち、原告は、訴外小林が最初に原告のリヤカーを認めた時恐らく前記伊藤方に野菜売りに行きリヤカーの傍を離れていたが、小林の運転するトラツクがオーライオーライと声を掛けながら通り抜けようとしているのを聞きつけてリヤカーの所に走り寄り、リヤカーを道路端に引寄せようと、左外側からリヤカーの梶棒を持ち上げて手前に引寄せようとしたところ、リヤカーの右側後部が急に道路中央部に向つて斜に突出したため、荷物台の敷板の右隅が前記の如く直進せんとしているトラツクの左側後輪フエンダーに引つ掛りその勢いでリヤカーが押され、また荷物台の敷板も押し上げられ、そのため原告は敷板と電柱との間に右脚を挟さまれ、原告主張の如く負傷するに至つたものと解するほかはない。

したがつて、原告においてリヤカーをそのまま放置しておけば、小林運転の貨物自動車はリヤカーの右側を安全に通過できたであろうし、また原告において通常の注意を払つてリヤカーを動かしていればその荷台の敷板が右貨物自動車の左側後輪フエンダーに接触することはなく、原告の負傷は生じなかつた筈である。原告の本件負傷は全く原告自身の過失によるものであつて訴外小林宏の過失に基因するものでは絶対にない。

三、請求原因三、のうち、訴外小林宏が被告会社の被用者であり、本件事故当時被告会社の営業である輸送貨物の集配のために前記貨物自動車を運転していたものであることは認めるが、その余の主張は争う。

四、請求原因四、は、その(一)のうち原告が本件事故による負傷の結果右脚の膝から下を切断したことは認めるが、その余の主張事実は争う。同(二)のうち、原告が本件事故後直ちに水戸市岡崎病院に入院し治療を受けた事実は認めるが、その余の主張事実は争う。同(三)の主張は争う。

五、以上のとおり原告の本訴請求は理由がないから棄却さるべきである。

と述べた。(立証省略)

理由

一、被告が自動車による貨物運送を業とする有限会社であること、及び被告の被用者である訴外小林宏が昭和三四年八月二六日午後〇時五〇分頃被告所有の事業用貨物自動車(茨一ー四七三号)を運転して水戸市天王町九〇四番地先伊藤写真館こと伊藤光雄方前路上を進行中、右貨物自動車の左側後輪フエンダーがたまたま同所にいた原告のリヤカーの荷台の後部に衝突しリヤカーを押したため、その傍にいた原告が附近の電柱に押付けられ、リヤカーと電柱との間に右脚を挟さまれ、その主張の如き傷害を蒙るに至つたことは当事者間に争いがない。

二、次にいずれも成立に争いのない甲第二、第三号証、同じく乙第一ないし第六号証に証人伊藤ていの証言、同小林宏及び同船橋三男の各証言の一部、原告本人尋問の結果の一部並びに本件現場検証の結果を綜合すると、

訴外小林宏は、前記昭和三四年八月二六日午後〇時五〇分頃前記貨物自動車を運転して水戸市備前町方面から同市鳥見町へ貨物の集配に赴くため前記天王町通りに進出し時速約二五粁で北進したところ、前方約一三米の道路右側高橋小児科病院前路上に自動三輪車が対向して駐車しており、更に進んで道路左側の約二一米前方の同町九〇四番地先伊藤写真館こと伊藤光雄方前路上に同方向に原告所有の野菜籠を積んだリヤカーが停車しているのを発見したので時速一〇粁余に減速して進行し、貨物自動車の左側は同乗の助手訴外船橋三男をして警戒させそのオーライオーライの合図を受けつつ、小林自らはバツクミラーによつて右側自動三輪車との接触に注意しながら自動三輪車とリヤカーとの間を縫うようにして通過を開始した。ところが原告は同時刻たまたま天王町通りにおいて野菜の挽売りをして歩いていたのであるが、右伊藤方から注文された野菜を計量するために右リヤカーの傍に戻つたところ、小林運転の右貨物自動車が後方高橋小児科病院前から接近して自動三輪車の横を通過しようとするのを認めたので、急いで右貨物自動車との接触を避けるためリヤカーの左外側からその梶棒を握つて一たん前方に引き、続いて斜後方に押し更に前方に引寄せて右伊藤方前の下水蓋の上にその左車輪を乗せようとした。かくするうち、小林運転の貨物自動車は自動三輪車の横を抜けリヤカーの右側に差しかかつたのであるが、貨物自動車の前輪がかろうじてリヤカーと接触することなく通過できたところ、助手としての経験の浅い右船橋は後輪もまた容易にリヤカーの横を通り抜けることができるものと軽信して貨物自動車左方の警戒を緩め、漫然前方を向いたままオーライと合図を送つたから、小林もまた右合図に安心してリヤカーの横を容易に通過できるものとし速断し道路左側に対する注視を怠つたため、原告が前記のようにリヤカーを操作中たまたまリヤカーの荷台後部が道路斜めに僅かながら突き出て来たことに気づくに至らず、小林が続いて車首を立て直して直進したとたん、貨物自動車の後車輪フエンダーをリヤカーの荷台の敷板右隅に接触させ強くこれを押すことになつた。よつてリヤカーの左側梶棒の傍にいた原告を一米余前方の道路左側の電柱に押し付け、原告の右脚をリヤカーの左側梶棒の付け根附近との電柱との間で強挟した結果、原告に対し前記の如き傷害を蒙らせるに至つたものであること、及び右事故現場附近は左右両側に下水溝を控えた巾員約五・七米の狭い道路であり、また前記停車中の自動三輪車と反対側の道路左端との間隔は僅かに約二・八米であり、右三輪車と当初停止中であつた際のリヤカーとの距離は斜距離にして僅かに三米余しか無かつたことが認められる。

右認定に反する証人船橋三男、同小林宏並びに原告本人の各供述部分は信用し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

しかして、およそ自動車運転者が巾員の狭い道路上において左右に停車している車の間の狭い路上を通過するに当つては、かかる場合には往々にして接触事故を惹起する危険があるから、両車の間隔に留意し安全に通過し得ることを確認した上で進行を開始すべく、また通過中においても減速徐行すべきは勿論前方左右を注視して左右車との接触を警戒し停止車の関係人の動静に十分配慮して運転する等事故を未然に防止すべき注意義務があるところ、前記認定の事実関係よりすると、本件事故はもつぱら運転手たる訴外小林の、そして従として助手訴外船橋の過失に基因するものと認めるのが相当である。

なお、被告は本件事故は訴外小林の過失によるものではなく、もつぱら原告が避譲の際リヤカーの移動操作を誤つたことに基因すると主張するところ、本件事故が一つに訴外小林の過失行為に基因するものであつて被告のこの点の主張が理由のないことは前示のとおりであるが、他面本件事故は訴外小林の右過失行為と競合して軽度ながら原告の過失にも原因があるものと推認することができる。すなわち前記認定事実の如く、原告が訴外小林運転の貨物自動車の接近に気付いた時は、右貨物自動車は既に高橋小児科病院前の自動三輪車の横を通過しかかつていたのであるから、原告はかかる場合にリヤカーを避譲のため移動させるには、リヤカーは意のままに直ちに移動できるものではなく操作の如何によつては進行中の右貨物自動車に接触する危険あることに想到し、右貨物自動車の進行状況に留意しこれとの接触なからんよう注意を払つて移動操作をなすべきが相当であると解すべきところ、原告は右義務を怠り漫然前記の如き方法によつてリヤカーを移動させようとして、荷台後部を僅かに道路斜めに突出したところ、訴外小林も前示の如き不注意によつてこれに気付かなかつたため右貨物自動車の後輪フエンダーとリヤカーの荷台後部右隅とが接触した結果前示の如き傷害を惹起するに至つたものであつて、本件事故の発生については原告にもまた過失があつたものと推認することができる。

三、そして訴外小林が被告会社の被用者であること、及び本件事故当時小林は被告会社の営業である輸送貨物の集配のため前記貨物自動車を運転していたものであることは当事者間に争いがないから、使用者たる被告は、民法第七一五条の規定に基づき、訴外小林の過失行為によつて原告の蒙つた損害を賠償すべき義務があるといわねばならない。

四、そこで進んで損害額の点について判断する。

(一)、証人芝山義之介の証言並びに原告本人尋問の結果を綜合すると、原告は夫義之介と結婚以来同人と二人して同人名義の田畑一町二反歩の耕作に従事する傍ら自家生産の野菜の挽売りをして働いていたこと、そして原告は一日置き位に右野菜の挽売りに出掛けその挽売りによつて一日平均二、〇〇〇円以上の売上げを得ていたことが認められ、また成立に争いのない甲第七号証に証人芝山義之介の証言並びに弁論の全趣旨を綜合すると、原告夫婦の働いて得た農業所得に対する所得税の申告は世間の通例の如くすべて夫義之介名義をもつて申告されていたのであるが、夫義之介が昭和三四年度分の所得税の確定申告をなすに当り、所轄水戸税務署から右申告の参考として義之介に示された同人名義の昭和三四年度分の所得金額は、二四万三五〇円となつていたことが認められ、以上の認定を左右するに足りる証拠はない。

そして以上認定の事実よりすると、原告は田畑一町二反歩を耕作し傍ら自家生産の野菜の挽売りをなして所得をしていた農家の主婦として、本件事故当時生活費、肥料代等の必要経費を差引きして少くとも年間一二万円の収入を得ていたものと推認するのが相当である。

そして、原告が明治四二年一二月九日生れで本件事故当時満四九才であつたことは原告本人尋問の結果に徴し明らかであるところ、厚生省調査の第一〇回生命表によれば満四九才の女子はなお二六・五三年の平均余命を有するものであることが認められ、また証人芝山義之介の証言並びに原告本人尋問の結果を綜合すると、原告住所地方における普通健康の女子は六五才位までは十分に農耕に従事し野菜の挽売り等に出掛けることも可能であること、しかるに原告は本件事故の結果前示傷害を負い右脚を膝下から切断するのやむなきに至り農耕はもとより野菜の挽売り等は全くできない不具者となつたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

そうすると、原告は、本件事故が無ければ、なお六五才位まで一五年間は農耕に従事し野菜の挽売りに出て働くことができ、少くとも年間一二万円の収入を得られたものと認められ、従つて本件事故により右一五年間に得べかりし利益を喪失したものといわねばならない。

しかして、年間収入を一二万円とすると一五年間の得べかりし収入額は金一八〇万円となり、これをホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除し本件事故当時の現在額に換算すると、金一〇二万八、五七一円強となることは計算上明らかなところである。

(二)、次に証人芝山義之介の証言によりいずれも真正に成立したと推認できる甲第四ないし第六号証に同証人の証言を綜合すると、原告は本件事故によつて前示の如き傷害を受けるや直ちに水戸市岡崎病院に入院し、爾来約四ケ月間治療を受け、その後は通院加療に努めたこと、そしてその間原告は同年一二月三〇日頃同病院に対し入院料・手術料・処置料・注射料・薬価料・附添給食料合計金六万六、〇五〇円を、昭和三五年一月二二日治療代金四五〇円松葉杖代金八五〇円を支払い、昭和三四年一二月三〇日訴外市毛孝子に対し入院附添看護料として金三万六、〇〇〇円を支払い、更に義足代として金一万七、〇〇〇円を要したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(三)、しかして、原告にもまた本件事故につき軽度ながら過失のあつたことは前叙のとおりであるところ、本件財産的損害の額を定めるにつき右過失を参酌するのが相当であると考えられるから、原告の右過失を斟酌すると、右(一)及び(二)の財産的損害中被告が原告に対し賠償すべき金額は金一〇〇万円と定めるのが相当である。

(四)、更に慰藉料額の点について考えるに、前叙の如く、原告が本件事故により前示傷害を蒙り右脚切断のやむなきに至つたことにより多大の精神的苦痛を蒙つたであろうことは推測するに難くないところである。しかして、前記認定の原告の生活状態、そこから推認される財産状態、原告が女性であること、原告の年令、本件傷害の部位・程度、被告が前示の如き有限会社であること、訴外小林もまた被告もその後原告に対し何らかの慰藉の方法を講じた形跡が窺えないこと、前叙の如く軽度ながら原告にも本件事故につき過失のあつたこと、その他本件顕出の証拠によつて認められる諸般の事情を綜合して考慮すると、原告の精神的苦痛に対しては少くとも金一〇万円をもつて慰藉すべきが相当であると認める。

五、以上のとおりとすれば、被告は原告に対し財産的損害金一〇〇万円及び慰藉料金一〇万円合計金一一〇万円並びにこれに対する本訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和三五年二月二八日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

よつて原告の本訴請求は右の限度において理由があるから認容し、その余は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 諸富吉嗣)

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